緩衝ドリームスープ

冷めないうちに そっとひとくち

映画「ヒメアノ~ル」雑感

事情は理解できるけどこれR15なのホントもったいないなあ。中高校生にこそ、みてほしい作品だった。
http://www.himeanole-movie.com/

 

 

※以下ナチュラルにネタバレ含むと思うので未見のひと要注意な!
※いろいろと紛らわしいので、演じるV6森田のことは「森田剛」、役名の森田正一のことは「森田」表記にします。

 

 

 

●前評判にびくびくしながら行ったんだけど、徹頭徹尾『青春映画』だった。森田が、高校時代に伝えられなかった想いを、ともだちに届ける映画。
●なんで中高生にみてほしいかって、確実にこれ『イジメ、ダメ、ゼッタイ』って話だからです。
●高校時代にかなり振り切ったいじめに遭い、人間じゃなく『モノ』として粗雑に扱われすぎて壊れちゃった森田は、たぶん人間とモノとの境目がとても曖昧になってしまったんだろうな、と。
●大人になった森田にうっかり関わって巻き込まれてしまった側からしたらたまったもんじゃなくて、たとえば現実に、喫茶店で隣の席に座ったひとが壊れてない保証なんてないし家のドアあけたら背後からおかしなひとが一緒に入ってきちゃうかもしれないしなんなら帰宅した家で家族以外の誰かがカレー食ってるとこに出くわすかもしれないとか、ぜんぶ普通に起こり得ることすぎてそれが何より恐怖だよ明日から生きてくのちょうしんどいじゃんどうしてくれる!って感想を抱くのめっちゃわかる。でも森田からしてみたら、彼らは人間というよりただの『障害物』で、だから、まあ少々雑ではあるが『排除した』だけなんだろうなっていうのも理解できちゃって、そういうの自然に納得させる森田剛すげえ。
●いま「被害者は通り魔に遭ったようなかんじ」って表現しようとして、あ、でも通り魔と森田は似て非なるものだなって思った。通り魔は往々にして『魔が差して/もうどうにでもなーれ!って思って/クスリなどでハイになりわけがわかんなくなって』日常から飛び出した結果、犯行に及ぶことが多いと思うのだが、森田はずっと普通にナチュラルに彼の日常を生きていて、そのなかに「殺人」に分類される行動がある。日々の行動だからいちいち深く考えないし、やりかたも雑。
●ほんと森田のなにが雑って、ウソが雑。すぐバレるウソを平気でつく。その場しのぎにもほどがある。相手に信頼されようとか微塵も思ってないのダダモレ。なぜなら目の前にいるのはしゃべる機能がついてるだけの『モノ』だから。そして自分に害をなそうとしたり大声だしたりして目障り耳障りだから『排除』する。数ある『モノ』の中でも段違いに排除も後片付けも面倒な『ヒト』、だけど殺して燃やすなり埋めるなりするよりも説得したり懐柔したりするほうがより面倒だから前者を選ぶ。単純な二者択一。そもそも目の前の相手に言葉が届くなんてきっと森田は思ってないしね。だから女を抱くのだってレイプって手段しか存在しない。
●他者を人間じゃなくてモノとして扱う森田はたぶん、自分のこともそんなふうに雑に扱っている。そのわりにときどき、「俺もお前も人生終わってんだよ。何も持ってないやつが底辺から抜け出すことはないんだ」とか「どうせ極刑は免れない」とか、妙に現状を客観視したセリフを言う。自分が所属する社会のルールがわかっていて、でもわかっていることと遵守できることやそこから逸脱しないようにいることは別のお話で、『対人間』のコミュニケーションを完全に諦めて放棄した森田はもう、自分がそのルールの中で守られる存在ではなくなってしまったことを理解している。絶望も諦観もとっくに済ませていて、脳内では常にいじめグループから浴びせられた「死ねよ!」の罵倒が鳴っている森田。では彼はなんのために生きているのか。
●そこのところは本当に想像でしかないのだけど、岡田と再会してやっと、森田には「やりたいこと」ができたのかな、と。生きる意味などなく、むしろ生きるのをやめたほうが楽になれそうな日常に、目標ができた。能動的に「殺したい」と思う相手が、現れた。おそらくは、いじめの主犯を葬った最初の殺人以降はじめて抱いた「特定の人物」への殺意。岡田との再会が偶然だったのか、偶然を装った作為だったのかはわからない。でも、とにかくあのとき森田には達成すべきゴールが明確に設定されたのだと思う。
●どうして岡田だけが「モノ」ではなく「ヒト」として殺意を持たれるに至ったのか。岡田自身はそれを「学生時代に森田を裏切った自分への恨みと復讐」と考え、わたしもそうなのかなって思いながら観てた。でも、違った。そんな単純な話ではなかった。そんな単純なわけないってことを、森田剛の声が、教えてくれた。
●ラストシーンの少し手前で森田が何気なく放った「おかーさーん、麦茶2つ持ってきてー!」。この言葉にちょっと引くほど打ちのめされて、自分が彼のバックグラウンドとして『普通の母親がいる家庭』を想定していなかったことに改めて気づく。呼べば麦茶を2つ持ってきてくれる母親は、息子のいじめに気づかなかったのか気づいても放っておいたのか高校なんだから辞めさせるなり転校させるなりいくらでも手段はあったのではないかいまどうしているのか、まで思いをめぐらせて、そういえば親友に裏切られた森田がその後「親にも暴力ふるうようになって~」とか、わりと序盤で岡田が誰か(たぶんキモい先輩?)に説明してたっけ、って思い出した。クズだな岡田。他人事かよ。
●普通の家庭で普通の親のもとで育った普通の男のコ・森田は、いじめのメインターゲットとして人間の尊厳にかかわる部分を決定的に壊され、ヒトをモノのように粗雑に扱う大人になった。いじめの主犯・河島は、標的にした森田の逆襲で拘束フルボッコの末に殺されて埋められた。一緒にいじめを受けていた和草は森田の河島殺害につきあわされたあげくそれをネタに森田からゆすられ続け、意を決して反旗を翻すもあっさり返り討ちに遭い燃やされた。いじめグループに親友森田を売った岡田は半殺しの目に遭い、命は助かったがおそらく今後ずっと後悔をひきずって生きることになる。ここには、いじめを経て幸せになった人などひとりもいない。みんな最初は「普通」を生きていたのに。
●R15なー。直視しなきゃいけない世代に届かないもどかしさ。
●原作未読だったので、原作ファンだという進撃の巨人の諫山先生のブログ(映画「ヒメアノ~ル」なんですが : 現在進行中の黒歴史 http://blog.livedoor.jp/isayamahazime/archives/9267693.html)を拝読して腰を抜かす。
●『持って生まれた性癖が、おのれが所属する社会では犯罪扱いとなるタイプのものだった人間の悲哀』が原作のテーマだったんです!? なにその元キンコメ高橋。
●少なくとも映画での森田は『快楽殺人のサイコキラー』には分類され得ないと思うのよな。レイプ殺人は「性欲処理とその後の後始末」だしその他の殺人は「障害物排除」でしかなくて、人を殺めること自体に快楽をおぼえてるわけじゃない。だからどちらかというと原作寄りの煽り方をしてるトレーラーやキャッチフレーズにもどうしても違和感を感じる。
●「サイコに生まれてきたヤツがいるよ!怖いね!」だけだったらただのサスペンスホラーだ。でもこの映画はそんなつくりじゃなかった。完全に『青春映画』だと感じた。観たあとにこんなにいろいろと思うところのある映画を久々に観たな、と思った。観てよかった。
●死んだ目をした気怠げな森田剛は柔らかい毛布でくるんで抱きしめたい可愛さだった。大丈夫だよ、もう怖くないよ、キミを否定したりしないよ、生きていていいんだよ、ってギュッてしたい可愛さ。
●そしてムロツヨシがめっちゃぺろい。こっちもこっちでギュッてしてあげたいぺろさ。
●ながいこと語ったあげく偏差値2的な感想でしめてなんかすみません。